7月のある日の感想

すべてはオタクの妄想

『天気の子』感想

映画『天気の子』を見てきたので初見の感想を書いていきたいと思います。他の人の感想を見聞きする前に自分の気持ちをまとめておきたかったので...(パンフとかも見てないので完全に思ったことだけ書きます間違ってるかも)

 

公開初日の最後の回で見てきたのですが、さすがは期待の映画でほぼ満席でした。今年はFateHF、コナン、海獣の子供などのアニメ映画を見てきたのですが、これらの時はお客さんもある程度決まった層が見に来ている印象がありました。しかし今日は私のように(オタクっぽさがある)1人で来ている人から、カップル、友人、会社の同僚などなど、世代もバラバラな人が集まっていて、まだ映画にもこれだけの力があるんだと上映前から少し感動してしまいました。レイトショーでなければもっといろんな人が見に来るんだろうな....

 

以下ネタバレを踏まえて感想を書いていきます。

 

 

『君の名は。』に感動した人全員に見てほしい

2週間ほど前に、NIKKEI STYLEの新海監督へのインタビュー記事*1で監督が今回の映画は本来自分の作品を見ないであろう人達に見てもらえるチャンスだということを話していました。確かに『秒速5センチメートル』に代表されるように見た人の心に何かキズを残していくようなそれまでの作品と異なって、『君の名は。』は全体を通して爽快な物語になっていました。

だから私はこの記事を見たとき、今回の映画は『君の名は。』のような映画を期待して見に来た人に対して、2人が結ばれない『言の葉の庭』以前のような物語を見せるつもりなのかな......などと考えていました。

 

しかし、蓋を開けてみれば『天気の子』はそこに戻るのではなく、『君の名は。』に感動したあなたたちはこの話をどう受け止めるの?という新たな問いの物語でした。

 

『君の名は。』では、世界を救うことと三葉を救うことは、ほとんど同義でした。むしろ、瀧くんの三葉への想いが糸守町を救ったともいえるかもしれません。だから観客は2人の再開を喜んで、山を下る三葉を応援して、町民のほとんどが助かったという事実にほっとして、いい映画だった....と感動したわけです。

しかし今回の『天気の子』では、世界を救うことは陽菜を犠牲にすることで、陽菜を救うことは世界を犠牲にすることになります。世界か、少女か、という選択は "オタク" 向け作品の中では多く出てくるテーマで、それこそ新海監督の作品を好んで見るような人にとってはありきたりな問いなのかもしれません。しかし、その問いを『君の名は。』のあとに持ってくることによって、天秤の上に乗った『世界』の重さはより大きくなっているのです。あなたは三葉と瀧が世界を救う話に感動したんじゃないのか、それでも世界を犠牲にして想い人を救うことを肯定できるのか と

しかもこの映画の意地の悪いのは、鳥居の下に陽菜と帆高が並んで倒れているのを見て、よかった....助かったんだ....と思わせた次の場面には東京が水の底になっているところです。『君の名は。』では場面が転換して時間が進むと糸守が救われたことが分かるので、それをなぞるように逆のことをやっているわけですから.....

とにかく、『君の名は。』を見た人には全員見て欲しい作品だし、この映画を見る前には『君の名は。』を見ておいてほしいと思います。

 

世界に責任をもって生きていくということ

大学生になって東京に戻ってきた帆高に対して須賀さんが、世界は元から狂ってる、東京が沈んだのがお前たちのせいだなんて思い上がりだ、気にすることじゃない と言葉をかけます。

自分の手に負えないことなのに、勝手に自分のせいだと思い込んで責任に潰されそうになってしまうことは、よくあることなのかもしれません。「晴れ女」とか「雨男」といった言葉はその最たるものと言えます。

それでも、陽菜は(おそらく毎日)雨がやみ、元の東京が戻ってくることを祈っていて、帆高も自分たちが世界の形を変えてしまったことを自覚して、それでもなんとかやっていこうと決意します。きっと、それは世界に生きている意味なんです。

陽菜は、帆高と出会い晴れ女の仕事をしていくことで、世界で生きていく意味を見つけることができたと言いました。本当は全てただの偶然で、陽菜がいてもいなくても世界は変わらなかったかもしれない。人間が1人何しようが何しまいが、生きようが死のうが、それで世界は変わらないかもしれない。でもそれでは私たちは生きていくことが出来ない。自分勝手に世界や社会での役割を思い込んで、自意識過剰でもその責任を背負っていくことが、生きていく意味なんじゃないでしょうか。

世界と一人の人間を天秤にかけて1人をとるとき、それは世界を拒絶して2人の関係性に閉じこもるのではなく、世界を犠牲にした責任を負うことで、自分と世界とのつながりを保っているのかもしれません。

 

演出(小ネタとか)

VANILLAの宣伝車が出てきたときはとてもビックリしましたが(えぇ....ってなった)、とにかく街がかなりリアルに描かれていて感動しました。いろいろな看板も改変なしにそのまま出てきてましたよね... Yahoo知恵袋もそのままだったり、カラオケのシーンでは恋するフォーチュンクッキーとか恋とかを歌ったり、初代プリキュアのレイヤーが出てきたりなどなど.... ここまで現実を思わせる描写が続いていることで、陽菜と東京の雨をめぐる物語の幻想のような描写が際立っていました。銃の引き金が引かれるときの緊張感も、現実感の切り替えポイントとして印象的でした。

そして小ネタ的には『君の名は。』の登場人物....テッシーとさやちんが最初に出てきたときはアッ...と声が出そうになったし瀧くんは結構セリフもありました。

凪の同級生の名前は佐倉香菜(CV花澤香菜) 花澤綾音(CV佐倉綾音)で、ちょっと声優さんを知ってる人にはふふっとなる場面でしたね。遊び心.....!

 

邪推

陽菜が晴れ女の仕事を始めると、いろいろな人から依頼が来ました。結婚式を晴れにして欲しい、競馬レースを晴れにして欲しい、夏コミを晴れにして欲しい.... この場面で、私はこの依頼主たちを劇場にいる私たちに重ねてしまいました。冒頭で言ったように、今回は本当にいろいろな人が天気の子を見に来ていました。東京中の人が陽菜にいろんな依頼をしたように日本中の人がそれぞれ違ったストーリーを勝手に期待してこの映画を見に来ているんだろうな...と感じました。だから、帆高が事情も知らずに自分たちを邪魔してくる世界ではなく、自分のために願ってほしいと陽菜に言ったように、監督自身も周りの声のためではなく、自分の描きたいもののためにこの映画をつくったのかもしれないと思ったのです。

まとめ

 おそらくいろんな意味で賛否両論になると思うし、大きな君か世界かというテーマ自体は目新しいものではないかもしれないけれど、大ヒットの『君の名は。』に続く作品として、見た人に何かを考えてもらう作品として、これ以上のものはないのではないかと思います。(ちょっとずれると、泊まる場所がなくてラブホテルに入るとかオタク的にはよくあるシチュエーションだけどこんなに多くの人に向けてそれをやれるのはこの映画しかないよ......)

単体の映画として見てもとにかく映像がきれいだし演出の緩急が素晴らしくていつの間にか引き込まれているような映画になっていると思います。新海さんの作品であることを除いても今のところ個人的には今年No.1です。またみるだろうし他の人の感想も聞きながらもう少し考えていきたいところです。