7月のある日の感想

すべてはオタクの妄想

いまさら『Fate / stay night』を(Fate編)

世間では映画『Fate/stay night Heaven's Feel』第二章が話題の中, いまさらながらPC版Fate/stay nightをプレイしました。(感想書いているうちに15周年だったみたいですね おめでとうございます)

というのも, 私はこれまでFateはじめTYPE-MOON作品にはほとんど触れたことがありませんでした。 (FGOは2年前に少し触ったけどスマホがアプリの重さに耐えられず落ちがちだったのですぐにやめてしまった) 

しかし先日型月好きの友人に魅力を語られて興味が湧き, 体力と時間のある若いうちでないとこんな大きな作品を楽しむこともできないだろうと, やってみようと思うに至ったのでした。

というわけでひとまずFateルート(セイバールート)の感想を

 

 

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©TYPE-MOON

 

正義の味方は悪があって初めて存在できること

正義の味方には倒すべき悪が必要だ」という言峰綺礼の言葉  stay night全体を通して士郎が向き合っていくテーマでもあります

ヒーローになりたいという気持ちは多くの人が持ったことがあると思います  少なくとも私も小学生の頃は暇さえあれば(あるいは今でも時々)そういう妄想をしていました

そういう時は決まって, 身の回りで大変なことが起きる妄想がセットでした  家族が事件に巻き込まれたり, 同級生が事故に遭いそうになったり, 好きな子が誰かにさらわれそうになったり......そういう悲劇を, 自分のヒーロー像とともに望んだことは確かにありました

 映画『君の名は』の挿入歌であるRADWINPSの『スパークル』(作詞:野田洋次郎) の中に

嘘みたいな日々を 規格外の意味を

悲劇だっていいから望んだよ

という歌詞があります  自然災害というテーマがまだ生々しいこともあり当時いろいろ考えさせられたのですが, Fateで最初からこのテーマをぶつけられてそれを思い返していました

 

もちろん事件と災害では大きな違いがあって, それは作中でも語られる通り

明確な悪者がいるとき, 正義を貫くということは悪者を切り捨てることに他ならない

ということ

 しかし, 言峰からこの言葉を聞いた士郎は胸を突かれたような気持ちになるものの, Fateルートではそれほどこの問題に悩むことなく物語が進んでいきます

言峰が分かりやすい"悪"として描かれていて, 言峰の目的が自身の快楽(※)のためでしかないために, 言峰を打ち倒すということが士郎のヒーロー像に矛盾しなかったからでしょう そういう意味で言峰は神父らしく, 士郎に救いを与えるキャラクターであるのかもしれません

 

むしろ, この最初のメッセージはこの物語を見ている読み手に語りかけているように感じられました 正義のヒーローとしての士郎の姿に憧れるかもしれないが, それは同時にこれから起こる悲劇への憧れでもあるんだぞ, ということ

士郎の戦いが始まりであるとともに, Fateという物語の始まりにこの言葉を投げかける脚本にしびれました

 

※ここで愉悦という言葉を使おうと思って正確な意味をググったら, Fate/Zeroのネタバレっぽい記事が出てきてまさにそれだったのか...!と思いながらあわててブラウザバックしました Fate/Zeroは後で見ます

 

 

悲劇を経験として肯定すること

 

――その道が。今までの自分が、間違ってなかったって信じている。

 

教会の地下で士郎が、そしてセイバーが今までの経験を受け入れて進んでいくと決意する場面 Fateルートのクライマックスと言ってもいいのではないでしょうか

これまで、士郎とセイバーは互いに自分のことを大事にするべきだと言いあってきました 今の自分よりも守りたいものがある という意志を共有しているのにすれ違う2人 正直に言うと,  このシーンに至るまでその理由が分からずに 士郎の守りたいものにセイバーが入っているから仕方ないか....などと考えながらシナリオを追っていました

1度目のギルガメッシュ戦で見られるように, もちろんそれも大きな理由ではあるのですが, それ以上に決定的に違うことがあったわけです

 

それは, 自分が失ったモノへの向き合い方

失った事実をなかったことにして, 過去の失敗をやり直すのではなく

失った痛みや重さを抱えてそれでも自分は間違っていなかったと進むことこそが

失ったモノたちに報いることになる と士郎は言いました

 

過去の自分がやってきたことを否定するために戦うセイバーを見て, 切嗣に憧れた過去の自分を信じて戦う士郎は許せなかった 士郎がセイバーに自分を大切にして今を楽しまなきゃだめだと言ったのは, 決して過去を忘れろという意味ではなかった  それが伝えられなかったために, セイバーから「シロウなら、解かってくれると思っていた」という言葉が出たのでしょう 

結果的には, 士郎が自分自身と向き合って出した答えが, セイバーの後悔の気持ちをも動かしました

 

起こってしまった悲劇を肯定するというのは, なかなかできることではありません

やり直しのきかない現実世界において, 「失敗は成功の元」とか「涙を力に」とかいった言葉はありがちです  それは往々にして, もはやどうすることもできない失敗や辛さを忘れ, 痛みを軽減するため言葉でもあります 

しかし, 過去をも変えうる聖杯を前にして, それでも過去の悲劇を受け入れるという事はそれとはまったく異なる意味を持ちます それは自分だけではない, 失われてしまったたくさんのモノたちの痛みや苦しみを, 自らの選択の責任として背負っていくという決意なのだから

それができる士郎はとても強い人間ですよね こんなふうに自信をもって責任を背負う人間になれたら.......  こうしてみると, Fateルートで成長していたのは士郎というよりもむしろセイバーだったのかもしれません 士郎は最初から強い意志を持っていて, その強い気持ちがセイバーを変化させる そして最後にセイバーは過去へ戻って自分を肯定しながら最後を迎えることができた 

まさに「セイバールート」であったFate編だと思います

 

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 蛇足

Fateでは, 並行世界が存在するという設定の下に話が展開される

士郎が失われたモノの痛みや苦しみを嘘にしてはいけないと考えているのもこれが根底にあるのかもしれない つまり, 過去に戻って自分が悲劇から逃れたとしても, 悲劇があったという事実は完全には消えないということ

そう考えると現実世界においても, 出来事による世界の分岐についてどのようにとらえているかによって, どのように行動するかであったり, 過去の出来事をどう考えるかであったりに個人差があるのかもしれない