7月のある日の感想

すべてはオタクの妄想

きみとぼくでは生きられないセカイで ―黒埼ちとせと白雪千夜のこと(Drastic Melody感想)

 シンデレラガールズスターライトステージの9/17からのイベント、「Drastic Melody」のコミュを5話まで読んで、黒埼ちとせと白雪千夜とセカイ系についてとりとめもなく考えたこと(妄想)を書いておきたい。

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[Facinate]白雪千夜 ©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

以下ネタバレ含みます。

 



 

 

 

 

 まず、セカイ系という単語がとても危ういので、ここでは「きみとぼくとの関係が社会を挟まずに世界の運命を決める作品」を指すものとしておきたい。

 

 2019年2月28日に、黒埼ちとせと白雪千夜がシンデレラガールズに登場したとき、まあいろんな感想があったことは周知として、私が一番に感じたのは2人がこれまでにない関係性をもったキャラクターだ、ということだった。私は千夜ちゃんのために、私はお嬢さまのために、アイドルをやるという目的がはっきりしていた。そこではファンは、2人の世界に魅入られる第三者でしかなかった。

 アイドルマスターがキャラクターを描くとき、基本的にはアイドル・プロデューサー・ファンという3者の関係性で輪郭線を引くから、この2人がアイドルマスターっぽくない、むしろ美少女ゲームっぽいという感想は当然だった。

 全てを委ねなさい 捉えたら離さない こちらの世界へと

 Fascinateはこの2人とファンとのあり方をストレートに伝えている。あなたがどんな人だっていい、どんなことを考えていたっていい、どんなアイドルを好きだっていい、私たちの世界へすべてを委ねなさい、というあり方は、もはや一方的でファンとの「関係性」とは呼べないだろう。まさに、社会としてアイドルに関わり、そのあり方を変えてしまうファンという存在を排除し、きみぼくだけのセカイを作り上げてしまおうとするセカイ系キャラクターのようにみえた。

 こういうキャラクターがアイドルマスターの中で描かれることに、違和感を持つ人はたくさんいた。その一方で、私たち(私以外にもいるよねという願いを込めた複数形)はアイドルとファンという暴力的な関係性が満ちるアイドルマスターの中にあって、黒埼ちとせと白雪千夜という2人だけの世界が永遠に不変であってほしい、と願ってしまった。あまつさえ、その関係性が変わるくらいならその前に最期まで......とも。

 

 果たして、そうはならなかった。セカイ系は幻想だった。アイドルマスターのステージは、2人だけで作り上げてきた世界なんてものともせずに、黒埼ちとせと白雪千夜を侵食してしまった。

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ストーリーコミュ65話「Story of your Life」©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

ステージの光は呪いだから。惹かれてしまって......呪われてしまったら、光にたどり着


くまで、手を伸ばし続けるしかないんです。

 「Drastic Melody」はストーリーコミュ65話「Story of Your Life」と表裏になっているが、そのコミュでの白菊ほたるの言葉だ。ちとせがアイドルを辞めたいと思えるのなら、それはあなたがきっと呪いを受けていない証拠だから、あなたは幸せだ、とつづく。

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「Drastic Melody」第3話「Acoustic」©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

見えないフリをしてたって、もうそいつは消えちゃくれないぜ。ステージで見る光ってのは......そういうものだからな。

「Drastic Melody」での松永涼の言葉。光があるから前を向けなどというのは、本当の闇を知らない者の傲慢だという千夜はきっと正しい。でも、だからといって一度差し込んでしまった光からは目を背けることは出来ない。見えないフリをしたってそれはもはや都合のいい嘘でしかない。

 今、ちとせと千夜2人だけの世界が幸せなら、そこに入り込んでくるものは全て邪魔なものだ。きっとそれが怖くて、千夜は侵入者を「お前」と呼んで突き放した。今回千夜は、涼と凛に向かって(意味としてはそれ以外のアイドルやPも含むだろう)お前という2人称を使っている。Facsinateは、2人の世界を変えてしまう可能性のある社会を恐れて、その前に自分たちのセカイへと取り込んでしまおうとする歌だったのではないか。

 それでも、ちとせは自分が見せる光を、千夜は自分に差す光を見つけてしまった。それは2人の世界を社会から守っていた闇よりもずっと強力な呪いだった。その光が空けた隙間から、ファン、プロデューサー、アイドル、これまで第三者でしかなかった存在が、2人を変えるものとしてなだれ込んでくるのをもう止めることはできない。

 

 結局、アイドルマスターの中で、社会を排除したセカイを作ることは許されなかった。私たちの願いはかなわなかった。アイドルマスターはどこまで行ってもアイドルマスターだった。でも、意義がなかったわけじゃないと思う。

私たちのささやかな安らぎを......!それで満足か!?踏み込んで、壊して、奪って......!

ステージの「キラキラ」、という表現がアイドルマスターではよく使われるけれど、そのキラキラのもつ暴力性、人間の在り方を否が応にも変化させてしまう不条理性という側面こそが、この2人を舞台装置として描きたかったものなのかもしれない。

 

ただ、この話はここでお終いなんだ、とはならない。2人から永遠の世界を奪ったシンデレラガールズが、どんな未来を描くのか。そもそも描く気があるのか、それをこれからも見守っていきたい。